DLCにおける規格・標準化の現状と実用の展望

長岡技術科学大学 副学長 物質材料系 教授 斎藤 秀俊
さまざまなDLC膜とその色さまざまなDLC膜とその色。周辺は0.35 GPaで、中央に行くと40 GPaにインデンテーション硬さが上がっていく。軟質膜では干渉色が鮮やかに出て、硬質膜になるほどくすむ。後者では膜中で可視光が減衰するからである。屈折率や消衰係数など光学特性定数を利用することでDLCを分類することが可能だ。

1.はじめに

 わが国において、ダイヤモンドライクカーボン(DLC) の国際標準規格制定の機運が盛り上がってきているように感じる。6年前の平成19年に、国際標準規格の策定をにらんで実施された、わが国初のDLCラウンドロビンテストをこなしたときには、分類という壮大な作業の方向は間違っていなかったものの、DLCの何を調べるのか、それが工業の何に役に立つのか、真の意味を理解されていないように感じたし、筆者自身も理解しているとは言えない状態であった。

 6 年が経過した現在、DLC の構造やそれに影響を受ける性能などについて多くのことが人々の理解の上に乗り始めて、それらを工業にどのように生かすか、といった重要事項が認識され始め、国際標準規格を作ることによって得ることのできる利益がおぼろげながら分かってきたように感じる。多くの企業がDLCの標準化、規格化に関心を寄せ始めて、それがかかる機運につながっているのだろう。本稿では、規格、国際標準、その制定に伴う利益について、DLCに照準を合わせて説明していきたい。

2.規格・標準化とは

 規格の周辺には様々な用語がある。まず、この用語群から整理していこう。規格とは、決められたルールに従って決定された数値や用語のことであり、それを人々が共通に使用することで同じ理解の上で物事を進めることが可能になる。工業規格はまさに工業製品を人々の共通認識の上に流通させるのに必要不可欠な約束事である。規格は大きく分けて標準に関するものと、その認識の仕方に関するものに分けられる。物事の標準を決めることを標準化といい、標準であることの決定方法を決めることを規格化という。長さの規格を例にとって確認してみよう。1960年までは産業技術総合研究所にあるメートル原器が日本の長さの標準であり、メートル原器を規格に基づき忠実に再現した計器を利用して万民が理解できる共通の長さで、たとえば工業製品(規格品) が流通した。このように常に標準があって、その標準が再現できるように測定法が決まっていて、製品が流通するのである。もし規格が決まっているのに、ここに規格品ではないネジが安価に入手できたとしても、安全が担保されるのか、そもそもネジ穴にはまるのか、心配だから誰も使わないだろうし、その安全性などのチェックのためにわざわざ時間とコストを費やそうとは誰も思わない。

 世界的に流通する工業製品であれば、国際的な取り決めに基づいた規格が必要になる。ここで、国際標準機構ISOについて理解を深めてみよう。ISOのホームページを訪問すると意外なことに、「ISOとは何か」という項目より、「国際標準を導入することによる利益」の項目の説明に力が入っている様子がうかがえる。説明によれば「国際標準は技術的、経済的、社会的な利益をもたらす。それらは製品とサービスの技術的なスペックを共通化し、工業をより効率化し、国際間に存在する商取引の障壁を取り払う。さらに国際標準は消費者に対して、安心で効率的で環境にやさしい製品を保証する。」としている。

 もう少し突っ込んでみよう。国際標準は重要だということが分かるが、マネージメントによりその真価が発揮されるという点が難しい。そのマネージメントを司るのがISOの役割だ。ISOは国際標準規格を作り、「その規格に準拠する」と申告した企業等が審査を受けて認証されるよう制度を制定し、認証を受けた企業等が次の活動を実現できるように助けるのである。

  1. コスト低減…活動を適切化し、採算ラインを改善する。
  2. 顧客満足度の向上…質の向上、ならびに商取引を拡大して顧客満足度を向上する。
  3. 新市場開拓…商取引のバリアをなくし、グローバル市場を開拓する。
  4. 市場シェアの拡大…生産性を上げ、競争力を高める。
  5. 環境利益…環境負荷を低減する。



 国際標準規格を制定すれば、ISO認証工場があちこちに出現し、安心して使える工業製品が時間的・経済的に無駄な品質保証をせずに取引できるはずで、DLCを取り巻く産業においてもそれが実行できるような規格が制定されるべきである。わが国においては、ISO/TC107国内委員会で標準化、規格化の双方にわたる原案を策定し、TC107国際会議において議論するように準備を進め、一部は国際会議にて議論する準備が整った

3.事例における規格・標準化の有用性

 DLCの国際標準規格の策定が進むとどのような利益がもたらされるのか、実例を見ながら検証してみよう。

【事例1】DLCはたいへんよい潤滑性を示すと噂で聞いて、A社がB社に自社製品上への試作を依頼した。コーティング費用で10万円を請求されたが満足な性能がでなかった。詐欺かと感じた。

【事例2】C社は熱に安定で硬いDLC膜を製造することができる。うっかり「水素フリーだ」と説明の中に入れたら顧客であるD社から水素組成の定量データの提出と製品ロットごとの試験表の添付を求められた。

【事例3】D社はC社から想定の5倍の見積もりを提示された。理由を聞くと「水素定量のための解析費用だ」という。D社は取引先のE 社に「最高級のDLCだ」と説明するための資料が水素定量以外に思い当たらず、E社との取引をあきらめた。

【事例4】E社はDLCが高いと思い込み、やはりTiNを導入するのがよいと判断した。

【事例5】F社は基材変形追従性がよい潤滑DLCを製造している。ときどき製造装置の真空度が安定せず、異常放電によって潤滑性の悪いDLCができる。それが怖くて製品の全品に対して潤滑性能を検査してから出荷している。ここが生産量のネックになっている。

【事例6】DLCの抵抗率が絶縁体から導体にまで幅広いことに着目して、最近電気応用が進み始めた。G社はそれがDLCの種類で決まることを知り驚いた。

【事例7】DLCの規格化に大反対という企業H社。「ISO認証を工場が取得できなかったら、市場から排除されますよ。sp2/sp3 で製品の品質保証できる企業など大企業しかありえません」。

 それでは、それぞれの事例を検討しながら国際標準規格があれば上の事例がどのように変わるか、説明していこう。

 事例1は最もよく聞く。これはDLCに種類があること、さらに種類ごとに物性あるいは性能が異なることをメーカー、ユーザーともに理解していないために起こる。A社はもともと顧客獲得のために無料でコーティングを行っていたのだが、ちょっと試してダメだとユーザーがすぐに連絡を絶つので、試作はすべて有料とするようになった。DLCは万能のように思い込んだユーザーからすれば詐欺に映るわけで、このような行き違いをなくすためには標準化によりDLCを分類し、ユーザーの要望がメーカーに伝わるようにすればよい。

 事例2-事例4が連鎖し、「DLCはコスト高だ」という思い込みが生まれているとも聞く。たとえば水素定量を行うためには、静電加速器を使った弾性反跳解析(ERDA) 法というきわめて学術的な解析によらなければならない。装置だけで数億円が必要で、専用の建物とそこには第1種放射線取扱主任者を置かなければならない。水素フリーというのはDLCにとって時代のトレンドであるが、事情を知らないユーザーにとっては「それを保証して欲しい」のである。要するに、間に入ったD社がきちんとE社に説明できる資料があれば済む話である。水素組成の増減を矛盾なく説明できる指標にて分類することのできる規格を制定すれば解決する。

 事例5のように全品検査が生産のネックになるという話をよく聞く。DLCが種類に分けられるとして、「同じ種類だ」と言える範囲はどの指標のどこからどこまでか。そしてそれをインラインで瞬時に判定するためにはどうしたらよいか。全品検査を瞬時に行うための信頼できる規格を標準規格で制定すればよいし、実はここは研究者にとって最も得意分野であると言える。

 事例6はDLCの応用がハードコート向けばかりでないことを示している。さまざまな応用が提案されている現在、できるだけ多くの用途に適用することのできる分類方法を提案しなければならない。

 事例7については、多くのDLCコーティングショップが危惧している。近い将来に認証工場による規格の厳密運用は行われないと想定するが、商取引上において取引先から規格に沿った品質保証が求められることは十分に想定できる。より低コストで確実な品質保証を行うのがISOの目指すところであり、本プロジェクトでは全てのコーティングショップが公正な競争の元で発展できるように環境整備するものである。

4.低コストで簡易な n-k分類法

 上述した事例をもとに具体的にどのような戦略をもってDLCの国際標準規格が作られるべきだろうか、分類方法を例にとって解説しよう。

 DLCの構造解析については科学者が主導で進めており、世界的にはDLCの骨格である炭素の結合比率であるsp2/sp3と骨格に付随する水素の組成を組み合わせて理解する動きが主流である。たとえば、ダイヤモンドの基本であるsp3の結合をもつ炭素が多くて水素をほとんど含まないアモルファス炭素がいわゆる水素フリーDLCで、比較的高い温度領域で利用される潤滑性ハードコートである。High sp3- Low H と単純に言えればいいのだが、実は科学的にまだ表現できていない構造パラメータが隠れてしまっている。それは未結合手密度のことである。DLCを構成する炭素の骨格構造はアモルファスだから、多くの炭素には結合を作っていない手ができる。これが未結合手であり、DLCを構成するクラスター(塊)の大きさが小さくなるほど密度が高くなる。水素フリーDLCはナノメーターサイズのsp3 結合した炭素の骨格構造からなるクラスターの集合体と考えてよい。このクラスターの大きさが大きくなるほど未結合手密度は低くなり、そして特性はダイヤモンドに近づいていく。この未結合手密度を測定するために電子スピン共鳴法を利用して研究が進められてきたが、DLCを大量に合成して粉体で測定しなければならず、実験の難易度が高くて充分な成果が得られていないのが現状だ。このように、徹底的に普遍性を求めて正確なデータを得て、それを基にしてDLCを理解しようとしているのが科学の分野であり、工業では考えられないようなコストを使って構造解析が行われている。

 一方、工業において国際標準規格を策定するための戦略で最も重要なことは、低コストであるばかりでなく、その手法がヒューマンフレンドリーでなければならないことだ。有体に言えば「見れば分かる」といった現場の感覚を大事にするということである。わが国の分類提案の特徴はここにある。DLCを毎日製造している現場は、「艶と色でいつものDLCが製造できているかどうか分かる」と言う。その感覚を規格で表現すればよい。

 エリプソメータという光学分析装置がある。最高級品から廉価品までさまざまあり、静電加速器に比べれば企業に導入するのはたやすい。この装置は可視光を試料に照射して、その試料の艶と透明性をそれぞれ屈折率nと消衰係数kで表現するのだ。nが高いほど艶があり、kが低いほど透明感がある。たとえばダイヤモンドはn=2.417 で、k=0である。結晶で構造がきちんと決まっているからこれ以外の数値を取り得ない。それに比較してDLCにはさまざまな構造があるから、この数値が大きく動く。しかしながら、種類ごとにある範囲に数値が固まるので分類が可能だ。

図1 DLCの屈折率と消衰係数でDLCを分類する手法の概念図図1 DLCの屈折率と消衰係数でDLCを分類する手法の概念図。各領域の枠には正確性を持たせていないので注意が必要。 さまざまなDLCを図1に示すn-k空間で表現してみた。あくまでも説明のための概念図であることに注意されたい。いわゆる水素フリーDLCは領域Aに集まる。物質密度はダイヤモンドより低いにもかかわらず、未結合手から放出された電子による光の反射がありnはダイヤモンドより高くなる。そして電子が未結合手から放出される際に光エネルギーを吸収するため、kの値もダイヤモンドより高くなる。実際には青緑色に着色する。水素が20at% ほど混入した硬質DLC膜は領域Bに入る。合成方法によりkの値が変わる。さらに、黒鉛に近い、sp2が多く水素が少ない炭素膜は領域Cに集まり、導電性を示す。水素が40%以上ある軟質炭素膜は領域Dに集まり、n=1.5程度でk=0である。艶のない透明膜となり、膜厚によってさまざまな干渉色を示す。

 現時点で、n-k分類法はISO/TC107国際会議にNWIP(新規規格案)提案最中であり、議論が始まっていない。そのため詳細な領域を含めてここで詳細を明らかにするとことができない。NWIPとして議論することが承認されれば、わが国の製造業に広く公開して意見集約をしながら正式な内容(戦術)に組み立てていく予定である。

5.おわりに

 最後に、国際標準規格の制定作業とは、世界の国々と協調して進めるというよりは、世界の企業を相手にして戦うものだといったほうがよい。「より多くの企業のコストを国際標準によって低減させる」というのはボランティア精神に充ち溢れた心優しい人の考えることであって、シンクロトロン放射光施設や静電加速器を所有している企業にとっては、sp2/sp3-Hで分類した規格が国際標準になれば、自社だけがISO認定工場を持つことができ市場を独占できると考えるだろう。本規格提案が経済産業省のプロジェクトで動いているということは、DLCの産業を特定国の特定企業の独占市場にさせないため、DLCをよく知る科学者集団と技術者集団が一致団結して国益を守るということであり、それにはそのボランティア精神を支える多くの企業の実質的な応援が必要だということを申し上げたい。

※DLC摩擦摩耗試験法に関するNWIP提案がISO/TC107で2012年12月28日に可決され、今後国際標準規格を制定するための作業に入る。この提案はDLCの摩擦摩耗試験に関する測定方法を規定するためのもので、規格化となる。

編集部注)本稿はメカニカル・サーフェス・テック2013年2月号からの転載です。